「私の部屋」あとがき
置いてある家具は私の部屋に実際にあるものに由来する。
部屋の構成は桜の箱庭第1部の部屋とどこか似ているような気もする。
日記を見返すと、線香セットを買ったのは2012/7、けん玉を買ったのは、2014/9/23である。

全体的な仕組みにピアノ曲とチョコレートが中心的となるが、
この2つは確かに常に私が大好きなものであり続けた象徴的なものである。

*ピアノ曲は、作品紹介を適宜参照してもらえたらと思う。
 桜の箱庭、夜空の虹:作品1 曲集桜の箱庭(2009) より
 雪景色:作品2 あなたを誘う世界(2009) より
 神社がみせた幻:作品7 情景 "私の故郷はどこに"(2011) より
 幻想の楽園:作品8 7つの現世, 5つの幻想, 5つの裏側(2012) より
 降臨(1):2つの願い事と伝説(2013) より
 舟歌、祈り(1):物思いなど(2015-2016) より

*初めてチョコレートのお菓子に挑戦した痕跡は2011/2/13の日記にあった
> チョコレート。
> 細かく刻んで、牛乳と卵を混ぜて、融解させて、それから冷蔵庫で固めればいいらしい。明日やる気がなくなってなければやってみようかな。言われて見ればお菓子作ってみたことまだないんじゃないかな。
> [略] チョコレートの件は、適当にやってもうまくいかないことが分かった。またまた今度。
今回は、既製品のタルト生地を見かけて、書いてあったレシピの簡単な方に従った。
牛乳と生クリームを温めて、刻んだチョコレートを投入して溶かし、
ゼラチンを混ぜて溶かし、冷やして固める。チョコペンでお絵かきする。
普通のチョコだと確かに甘すぎる一方、製菓用の甘くないチョコを使うと本当に甘くないので、結局混ぜたりした。

時計は前作「もう1つの闇」に描いた時計をまた使った。
私の部屋の掛け時計はちょうどこの頃でたらめな時間を指すようになった。
私の心境とどこか重なっているようにも感じられて、そのままにしていた。
あとがきを書いている今日、新しい電池に交換して、正しい時間に戻した。

冷蔵庫の鍵は桜の箱庭第2部と同じ隠し場所である。
私自身が久しぶりに遊んだ時に唯一覚えていなく分からなかった場所だった。
埃を描くことで多少は見つけやすくなっただろうか。

机の上にある数式は新・桜の箱庭第2部の数式を利用した。
机の上に現れる2つの絵は以前入手した絵葉書のイメージである(今は持っていない)。

ベッドの部屋にある2つの絵は私の部屋に実際に掛けてあるような絵に由来する。
扇風機の「びゅううん」はもう1つの闇・いくつかの虚構でおなじみの効果音
ふとんがふっとんだという古典的すぎる諧謔ももう1つの闇の精神を引き継いだものである。

桜の箱庭でなぜかしつこいほど使った「服はかかっていない」メッセージを踏襲した。
当時は特に強い意図はなく、単に繰り返しによるウケを狙っていたように思う。
しかし私にとって服というのは後で実際確かに特別な意味を持つものとなった。
やや深刻になるがsinri.htmlで真相と思われる気持ちを公開している

必殺技アルティメット・レボルーション自体はオリジナルのつもりである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12167052777
マグマオーシャン、アイスストリーム、サンダーストームは世界樹の迷宮シリーズに由来する。
それ以外の言葉はその頃にふと思い浮かんだだけで深い由来はたぶんないと思う。
言葉には不思議な力があって、この呪文は確かに私の心を一時期支えてくれたように思う。
つい最近書道の展示で出会った言葉も、確かに不思議な力を持っているようなのでついでに紹介する:
・あわのうた「あかはまな いきひみにうく ふむぬえけ ・・」(続きは検索してください)
・ホ・オポノポノ「ありがとう ごめんなさい 許して下さい 愛しています」

庭園の散歩は、私の休日の過ごし方の1つであった。
このマップは、終・桜の箱庭の迷いの森の最奥のマップにも由来する。
そしてそれは確か大学1年生の教養科目で出かけた森林を思って書いたマップだった。
幼稚園で「絵に白い所はない」と先生に言われたのを覚えている。
今回の底園のマップは意図的にそれを破ったマップである。
(唯一だと思ったら昼のベランダマップもそうだったので唯一ではなかった)

夜空の虹とは、桜の箱庭を描く前から私の日記に現れていた言葉である。
sisou.htmlの「もっと昔の思想」(2008/4/2)で少し紹介しているが
この世界は虚構であり、それを楽しむことが私たちの生きる意味だという当時の思想で、
虚構を象徴する言葉として、夜空の虹、と呼んでいた。
そこに紹介されているように、当時の私には、虚構とは感動と結びつくものだった。
ポケモンとか流星のロックマンとか世界樹の迷宮のような世界に浸っていたのである。

しかし、よく考えると、どこから夜空の虹という言葉が出てきたのかはっきり思い出せない。
深く掘り下げてみるべく、最初期の日記を読みかえしている。
いくつかの日記抜粋
*2008/2/14の日記より
 年齢を重ね
 宇宙を重ね
 そこに見るものは
 無限の虹
 
 蒼い空に美しく
 暗くまっすぐと
 輝いている虹は
 明日への希望
 
 その虹を
 私は
 ゆっくりと
 歩いていきたい
 
 それが私の生きている意味だから
*2008/2/15の日記より
 虹を渡ってる。虹はずっと続いてる………
*2008/2/18の日記より
 あのあおい空に
 まっすぐと続く
 ものすごく暗い
 虹色の橋こそが
 
 たった1つの道
 
 その1つの道を
 必死に渡ってる
 
 だけどもうすぐ
 落っこちちゃう
 
 そんな気がする
日記抜粋塊を閉じる
どうやら、夜空の虹とは、単に、虚構という意味を込めただけなく、
「私の生きている意味」であり「たった1つの道」であり
「必死に」渡るのであるがそのうち「落っこちちゃう」
という運命的な意味が込められていたようである。
それでも、あくまでもその虚構を楽しむのが価値のあることという思想・・

ついでにその頃の2008/2/11の日記になかなか心を突き刺す言葉を見た。
> ・・別に何もしたくない。今も、将来についても。
> だから、そこらへんの塾のパンフレットに志望校とか書かれてても、・・困る。
> 本当にない。どうしようかなあ。。
社会人になってからも、同じような気持ちである。
他の人はこうじゃないのだろうか?分からない。

あやしい風が吹く屋敷はもう1つの闇に由来する。
妖魔は、姿はもちろんポケモンのムウマであるが、これも私の思想のキーワードの1つである。
sisou.htmlの「私の迷信 (2010/6/2)」に紹介されている。
このあたりも、掘り返してみる。
いくつかの日記抜粋
*2009/9/21の日記
 ムウマ がんばりや
 痛みわけ/滅びの歌/黒い眼差/怪しい光
[ポケモンソウルシルバーのパーティの一員だった。]
*2009/12/14の日記
 ムウマージ 浮遊
 27,23,31,30,18,31 臆病 ラムの実
 4,0,4,248,2,252 シャドーボール・10万ボルト・めざパ地面70・悪だくみ
[対人戦パーティの一員にもいた。なつかしい。]
*2010/5/2の日記より
 見えない恐怖、見られている恐怖、後をつけられている恐怖、そして、見えてはいけないものが見えてしまった恐怖。
 [略] ぞっとする気持ちは幽霊をと深い関係があるのだろう。
[付近を散歩するのがマイブームだった。もちろん恐怖の描写は過剰表現である。] *2010/5/20の日記より
 今日ポケモンの話題があってムウマが通じなかったので絵を描いて伝えようとしたらさっぱり描けなくて悔しかったので帰って公式ポケモン図鑑を見て練習しようと思ったらいつのまにかお亡くなりになっていたからグーグルで検索してよさそうなのを見つけてそれを見て練習したら12枚くらいのルーズリーフの両面を埋め尽くしてした成果が出たようで手本を見なくても15秒くらいでそれっぽいのが描けるようになったからペイントでも描いてみたのを多少縮小して添付しておく。
[その画像を今回の作品に使ったのである。今はもう描けない。キャラクターを描くのは私には向いてないと思う。]
*2010/5/29の日記より
 「妖魔の歌」第四楽章
 闇から生まれて闇へと誘い闇の底へと消えた訪問者それは妖魔。
 妖魔に憑かれればすなわち妖魔となり私もまた妖魔の歌を歌う。
 春の夜のそよ風に乗って花から花へと新しい世界へ旅立とうよ。
[そして、私の迷信 (2010/6/2)に至る。]
日記抜粋塊を閉じる
ムウマを描いたきっかけは案外しょうもないものだった。
ちょうど同じころに直感の価値に気づき、妖魔と結びついたのは偶然であったように思う。
そして、直感の価値に気がついたのは、「心で弾くピアノ」という本がきっかけだった。
*2010/3/20の日記より
> 私の心が見えた [略] それで、そうした全力を込めた演奏はとても価値があると思う。なぜなら、(キーセンテンス)直感を論理によらずに全力で表現することができるからだ。(そして、ピアノは私がそれをする一番の方法に違いない)
以来しばらく、演奏会での演奏は、ステージの儀式であり、
そのときにピアノの上に妖魔が現れるのだ、という視点を感じていた。
それを今回の作品で採用したのである。
和歌が「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」というようなイメージである。
それから、鏡の向こうに世界があるという夢も小さいころから持っていた。
最初をたどるなら小学校の時に読んだそれ系のホラーがきっかけだったように思う。

部屋が白黒なのは、前作などの流れから必然的であった。
それは最近感じている意味での「虚構」感を反映しているように思う。
それは夜空の虹の思想での虚構と明らかに違う意味を持っているんだけど、
違いをちょうどうまく描写できる言葉を未だに見つけられずにいる。
電気を消して部屋を暗くするのは「もう1つの闇」でも使った仕掛けである。

最近挑戦してきた数学の代数幾何な要素を盛り込むことも検討したがさすがに難しく、
魔方陣から庭園に至る光に位相空間のファイバー積のイメージを込めた程度である。

創造する意欲があまり無い中で描き始めた作品であった。
しかし一度描きだすと、それなりに熱中することができた。
それはやはりとても楽しい時間であったのは、もう1つの闇のあとがきにも書いた通りである。
狭い世界ではあるが、今までの作品を盛り込んだものができた。
私の大切な思想も所々に結びついていることは上記に書いた通りである。
久しぶりに昔の日記を振り返り、いろいろ忘れていたことに再度出会うことができた。
(日記を残していて良かったと思う時である。)
次は、さすがに、いつになるか分からないけどまたこういう創作ができたら良いなと思っている。

2017/3/26

*追記
時々、祈りが足りない、というような気分になる。
それは、ちょうどMPを回復したいような気分である。
そして、こう部屋を暗くして祈ると実際落ち着くのだ・・

昔の日記にこの心理によく合う言葉があった:

ここではないどこかに行きたいという気持ち
もう少し言うと誰もいないどこかに行きたい
私をこの世界につなげる何の束縛もいらない
口が滑りすぎたかな (2012/1/21)

2017/5/23

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